思想の読み書き

思想と哲学

『全体性と無限』訳語メモ 岩波文庫p.191

熊野訳で気になったところを合田訳と照らし合わせてメモしていく(再開)。

 

「ことばを語ることはひたすら共通性を創設する。」

 

原語は「 communauté」(p.101)

 

合田訳では、「共同性」。合田さんは、一種説明的な意訳をしているらしく、原文を補足するような繰り返しの訳をしているようで、「共有ないし共同性」ともしている(国文社 p.142)。

 

ヌクレイン 補足の補足

千のプラトー、守中訳で、塩基配列に該当する内容に核蛋白質(ヌクレイン)という訳語を採用しているのは不可解で、時代錯誤だという話をしてきた。

http://readthink.hatenablog.com/entry/2016/12/16/203908

 

もう一箇所、ヌクレインと訳された箇所があったのに言及し忘れていたので、再度補足する。

内容的には同じことの確認である。

 

「一方には蛋白質単位のシークエンス、他方には核蛋白質(ヌクレイン)のシークエンス」(上 p.98)

 引用元では、括弧内はルビとなっている。

 

おそらく、守中訳では、ここでnucléiquesをヌクレインと解釈し、核蛋白質と訳すという方針を示そうとしているのだろう。

 

原文は以下の通り。

 

 d'une part la séquence des unités protéiques, d'autre part celle des unités nucléiques (p.57)

 

すでに指摘した通り、nucléiques は、核の、という形容詞で、ここでヌクレインと訳すべき理由はない。

 

原文で、unités、訳語で単位とされている言葉は、遺伝子暗号において、核酸三つの配列が単位となって、あるアミノ酸を指定していることを意味している。

 

参考

 http://www.toho-u.ac.jp/sci/biomol/glossary/bio/genetic_code.html

 

一列に並んだ核酸配列において、三つ一組となった塩基の順番がアミノ酸の配列を表し、その順番に結合されたアミノ酸の糸が、折りたたまれ立体構造をなし、生体を構成する蛋白質を形作る。

 

ドゥルーズガタリの原文は、そういう標準的で基礎的な分子生物学の知識を踏まえて書かれている。

 

ヌクレインなどを持ち出して解釈する余地はない。

 

 

主題化されたものの認識(2) invocation はどんな祈りか

レヴィナス『全体性と無限』について。

前回コメントした箇所の続き。

 

La connaissance du thématisé n'est qu'une lutte recommen­çante contre la mystification toujours possible du fait; à la fois, une idolâtrie du fait, c'est-à-dire une invocation de ce qui ne parle pas, et une pluralité insurmontable de significations et de mystifications.

p.60

 

それは、事実の偶像崇拝、言い換えれば語らないものに対して祈ることである

熊野訳、(上)114ページ

 

偶像崇拝は idolâtrie 。

語らないものに対して祈ること、は、une invocation de ce qui ne parle pas の訳である。

 

語らないものに対して祈る、とは、どういうことだろうか?

 

合田訳ではこうなっている。

 

語らないものへの祈願

 

invocationを、「祈願」と訳している。

 

手元の仏和辞書を見ると、加護を求める祈り、とある。一種の呼びかけであるような祈りということだろう。

 

場合によっては、召喚と訳す場合もあるようだ。

 

 つまり、神仏に加護を求めるように、事物をあてにするような態度のことを示していると思われる。

 

具体的な場面を考えると、護身用にナイフをふところに忍ばせるとか、防災用に食料や水を蓄えて、安心する、というようなこと、だろうか。

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

出口顯『レヴィ=ストロース まなざしの構造主義』

https://twitter.com/sacreconomie/status/794827016973393920

 

このツイートを見て、読んでみた。

 

来日したレヴィ=ストロースが、世阿弥に触発されて本のタイトルをつけたり、伊勢神宮の建物から論考の着想を得たりしていたと言ったエピソードや(第1章)、仙厓の画集がフランスで出たとき、序文を寄せていて、モンテーニュを仙厓になぞらえていたりする、という逸話(第5章,注90)が、個人的には興味深かった。

 

まなざしという切り口と、構造主義の再評価が、うまく結びついているとは思えなかったのだが、人類学者として、単なるアカデミシャンに留まらない、思想家としての姿を描いてみせてくれているように思う。

 

児童教育論と、ニューヨーク論に通底するものがアフリカ奥地のハムレットのエピソードに繋げられるあたりの筆致には(第4章)、議論としての辻褄がどうかということを抜きにして、視野を開いてくれるものがあった。

 

 

【現代思想の現在】レヴィ=ストロース まなざしの構造主義 (河出ブックス)

主題化されたものの認識(1)

レヴィナス『全体性と無限』を読んでいる。以下引用。

 

主題化されたものの認識は、事実についてはつねに可能な神秘化に対して絶えず繰りかえされる闘争にすぎない。

熊野訳、岩波文庫 上 114ページ

 

ここで神秘化と訳された原語は、mystification だった。

 

La connaissance du thématisé n'est qu'une lutte recommen­ çante contre la mystification toujours possible du fait; à la fois, une idolâtrie du fait, c'est-à-dire une invocation de ce qui ne parle pas, et une pluralité insurmontable de significations et de mystifications.

p.60

 

合田訳では、歪曲としている。

 

主題化されたものの認識は、つねに起こりうる事実の歪曲に対してたえずくり返される闘いにすぎない。

合田訳、国文社 85ページ

 

合田訳の方が理解できる。

 

ここで主題化されたものの認識とは、事物を対象化してとらえる、いわゆる客観的な認識のこと。

客観的認識が、相対的なものにとどまること。

科学的知識の正しさを絶対的に保証する根拠は無い、と論じる文脈。

したがって、客観的事実とは、つねに歪められる可能性がある、ということだろう。

 

いくつか見た限り、仏語の辞書では、欺瞞、ペテンという意味という意味を記載し、神秘化という意味は載せていない。

 

熊野訳は 、マルクスを踏まえているのかもしれない。

意訳として、訳者の解釈が説明がなされるべきところだと思われる。

 

(続く)

 

 

ヌクレインとヌクレオチド 補足

前の記事では、他のページにも同じ訳語の問題が見られることに気づいていなかったので補足する。

 

ヌクレインとヌクレオチドー『千のプラトー』 - 思想の読み書き

 

「本質的なのは、核蛋白質複合体のシークエンスの線形性である」

千のプラトー

上 132ページ

 

ここで、核蛋白質複合体には、ヌクレインとルビが振られている。

 

原文は次の通り。

 

L'essentiel, c'est la linéarité de la séquence nucléique .

p.77

 

文脈的に、nucléique (細胞核の、という意味)を、ヌクレイン( nucléine )と訳さなけれならない理由は無いと思われる。

 

同、133ページ

「核蛋白質のシークエンス」も、同様に、原文は

 

L'alignement du code ou la linéarité de la séquence nucléique marquent ....

p.78

 

nucléique である。

 

なお、次のサイトでは、séquence nucléique を、séquence nucléotidique と同義としている。

Synonyme séquence nucléique | Dictionnaire synonymes français | Reverso

 

内容的には、核酸の塩基配列について、線形性を問題にしている文という事で間違いないだろう。

 

 

千のプラトー 合本版 資本主義と分裂症 (河出文庫)

Mille Plateaux

形態学 個体発生と系統発生

千のプラトー』でジョフロワ・サン=ティレールの話が出てくる。

科学史的に、ジョフロワについて教えてくれるコンパクトな本がないか探していて見かけた次の本。

 

形態学 形づくりにみる動物進化のシナリオ (サイエンス・パレット)

 

ヘッケルがとなえた、個体発生は系統発生を繰り返す、という「反復説」は、すでに否定された、というのは、英米における生物学者、科学史家による反ドイツキャンペーンだ、と書かれていて(p.69)、なるほど、と。

 

反復説は、単純に成り立つものではないが、今でも有益な観点だ、という著者の見方が面白い。

 

科学史的な話題と最先端の研究動向が融合したような書き振りが珍しいと思ったら、あとがきを読むとユニークな経歴の人だった。

 

しかし、ジョフロワについては、なかなか良い本ないですね。